2016年12月14日

FF生みの親、坂口博信ロングインタヴュー:XV制作秘話や、リメイク、鳥山明を語る

サーファーであり、ミュージシャンでもある『ファイナル・ファンタジー』の生みの親、坂口博信が、最新作『ファイナル・ファンタジーXV』の制作裏話はもちろん、スクウェア・エニックスとの関係修復、自身が影響を受けた作品、そして鳥山明とのエピソードなどを語った。

『ファイナル・ファンタジーXV』をさらに楽しむために知るべきこと

坂口博信が87年に制作を手掛けたロールプレイングゲームの金字塔、『ファイナル・ファンタジー』の制作現場から離れてから12年が経過した。累計1億本以上の売り上げをもたらし、複数のシリーズ作品を成功に導いたものの─ピークは96年発売の『ファイナル・ファンタジーVII』─結局、初めて監督した映画の失敗を帳消しにすることはできなかった。全編CGの映画『ファイナル・ファンタジー』は世界で大コケし、興行成績は全く振るわず、スクウェアの財布に大きな穴をあけてしまった。その結果、スクウェアはライバルのエニックスと03年に合併せざるを得なくなったのだ。

坂口は、04年に同社を退社すると、自身のスタジオ、ミストウォーカーを発足させた。ミストウォーカーが、坂口にとって初めてスクウェア以外のRPG作品となる『ブルードラゴン』をMicrosoftのXbox(日本では不人気であった)で発売する契約を明らかにし、ファンの怒りを買ったことは有名だ。その後、ハワイに移住し、複数のDSのゲーム、新たなRPG(任天堂の『ラストストーリー』)、大ヒットしたモバイルゲーム(『テラバトル』)、さらには、スマートフォン向けのサーフィンゲーム『パーティーウェーブ』を発売した。

波乱万丈という言葉がピッタリと当てはまる。そこで、今年(16年)の夏、私達は六本木ヒルズにあるミストウォーカーのスタジオにお邪魔し、学校をさぼって映画を見に行った学生時代、ミュージシャンを夢見ていた時代、スクウェア・エニックスとの和解(または、和解未満)、そして、坂口が始めたゲームシリーズの最新作『ファイナル・ファンタジーXV』について話を聞いてみた。

ー16年の3月、『ファイナル・ファンタジーXV』のイベントの壇上に現れ、オーディエンスを驚かせましたね。坂口さんとスクウェア・エニックスとの関係が修復された結果、この企画が実現したようにみえました。この考えは正しいのでしょうか?

難しい質問だね。正直に答えた方がいいのかな。スクウェア・エニックスの立場なら、会社として僕と距離を置くのは当然なんだ。当たり前だけど、あの会社のスタッフに対して僕は大きな影響力を持っていたんだ。ビジネスと成長を続ける必要がある会社にとっては、これは必ずしも良いこととは言えないよね。このような展開になった理由はよく理解している。でも、15年が経過して、今、スクウェア・エニックスで働き、『ファイナル・ファンタジー』のゲームを作っているスタッフは、僕がいた頃とは違うから、僕の影響力は以前ほど強くはないよ。

新しい時代の幕開けとして、これが和解を意味するとは僕は言わない。だけど、新しい『ファイナル・ファンタジー』の成功と、復帰と捉えられてもおかしくない僕の行動とを関連づけられることをスクウェア・エニックスは恐れているんだと思う。まるで僕がゲームに何らかの影響を与えている、もしくは、開発に関わっているかのように見えるかもしれないからね。だから、このシリーズの最初のクリエイターとして時々僕に姿を見せてもらいたいだけだと思うよ。

ーそれでは、どちらかというと、認めている、という感じですか?

そうだね。

ーどのようば経緯で今回の企画は実現したのですか?

田畑さんと3回くらい食事を一緒にしたんだ。田畑さんは、今回みたいにインタビューをしたかったみたいだ。『ファイナル・ファンタジー』の誕生について話して欲しかったんだよ。彼は当時会社にいなかったからね。つまり、『ファイナル・ファンタジー』のバトンを引き継いでから、初期のゲームに関して話をする人物として誰が適しているのかを考えるようになり、最終的に僕に白羽の矢が立ったのさ。何度か夕食を一緒に取って、話をしているうちに、田畑さんの考えを気に入ったと言ったんだ。彼は『ファイナル・ファンタジーXV』を影響力のある作品にすべく全力を尽くしていたよ。ある日、食事を取った後、田畑さんは僕にステージに上がって、田畑さんのチームが難題に取り組んでいることを伝えてもらいたいと頼まれたのさ。田畑さんは、この行動がとても刺激的であり、彼の開発チームを一つにまとめる効果があると考えたんだ。
--{ゲームを作ろうとすら思わなかったかもしれない。難しそうだもの。}--
ー『ファイナル・ファンタジー』は30歳になりました。もし、スクウェア・エニックスが、 天野喜孝さん、植松伸夫さん、そして、坂口さんの3名のオリジナル開発チームを呼び戻し、節目を祝う記念プロジェクトの制作を求めたら、何と言いますか?

そうだね、ピクセルアートで表現することになるだろうね。長編のゲームではなくて、プロモーション動画とかだったら面白いかな。ゲームの制作はとっても大変だから。

ー『ファイナル・ファンタジー』の制作を始めた当時、現在のテクノロジーの力を坂口さんが持っていたら、どのようなことをしたのか気になります。

ゲームを作ろうとすら思わなかったかもしれない。難しそうだもの。僕一人では対処できないよ。

ー何人がかりで最初の『ファイナル・ファンタジー』の制作を行ったのですか?

最終的にはたぶん20名ぐらいかな。最初は4名だけだったけどね。

ーそれでは、現在のテクノロジーが87年に存在したとしても、坂口さんはゲームを作らなかったというわけですか?

そうだね。

ー『ファイナル・ファンタジー』のリメイクに関する感想を聞かせてください。

リメイクを制作するメリットはあるよ。例えば、オリジナルの『ファイナル・ファンタジー』のキャラクターは、大きく、ずんぐりした顔だったんだ。このスタイルは日本以外では受けないんだよ。だから、リメイクでは、このような初期のゲームに当時とは異なるスタイルを導入するのさ。より大勢のオーディエンスに楽しんでもらえるから、ありがたいよね。でも、個人的には、クリエイターとして新しい作品の制作にエネルギーを注いでもらいたいかな。例えば、(『ファイナル・ファンタジーXV』のディレクター、田畑端さんは)最近、『ファイナル・ファンタジーXV』を作り、新しいストーリー、新しい世界、そして、新しいキャラクターを生み出した。すごいことだと思う。でも、先ほども言ったように、リメイクにも狙いがあるんだ。

ー昨年、一般への告知が行わる前に『ファイナル・ファンタジーVII』のリメイク版について知らされていましたか?

知らされなかったよ。

ー驚きましか?

そうだね。

ーこれはファンが長い間期待していたことでした。リメイクの制作に対する期待は徐々に小さくなっていったため、ソニーのイベントで告知が行われた際、センセーショナルを巻き起こしたんです。

確かにそうだけど、リメイクは難しいんだ。『スターウォーズ』が良い例じゃないか。ジョージ・ルーカスはオリジナルに新しいCGIを加えたけど、ファンは今でもリメイクよりもオリジナルを好んで見ているからね。悪いことだと言いたいわけではないんだ。でも、僕は難しいと思う。
--{有能な人達の手により、シリーズのオリジナル感が戻ってきたことが感じ取れたんだよ。}--
ーサイバーコネクトツーが開発で主な役割を担っています。優秀なスタジオです。『ファイナル・ファンタジーVII』に関する重要なポイントをアドバイスするなら、どのような助言を送りますか?

とっても難しいと思うよ・・・新しいゲームのプレビューを見たけど、全てのビジュアルが変わっていたからね。つまり、全ての戦闘シーンも同じように変更されるんだろう。だから、たぶん戦闘をリアルタイム制にするんじゃないかな。同じキャラクター、ストーリー、そして、世界を持つ新しいゲームを作っている気がするよ。だから、アドバイスは何もないかな。彼らの好きなようにすればいい、ってとこかな。

ー随分前に(オリジナルの『ファイナル・ファンタジー』の作曲を担当した)植松伸夫さんにインタヴーした際に言っていたことを伝えます。私は坂口さんがスクウェアを退社した時の感想を聞いた時のことです。すると植松さんは"スクウェアは坂口さんが去ったその日にファイナル・ファンタジーの制作をやめるべきだった"と言いました。この発言に関して、何か伝えたいことはありますか?

スクウェアから初めて距離を置いた時、スクウェアが、とりわけ『ファイナル・ファンタジーXIII』に関して僕が進んで欲しくない方向に舵を取っている気がしたんだ。あまり嬉しい展開ではなかったね。でも、スクウェアを辞めて、しばらく時間が経ってから、辞めたのは僕の方で、スクウェアは自分の思い通りにする権利があると理解するようになったんだ。そして、最近、『ファイナル・ファンタジーXV』を見てみて、田畑さんとは付き合いがないし、仕事をしたこともなかったんだけど、彼の作品を見て、僕がこのシリーズを初めて作った時と同じスピリットで彼はこの作品を作り上げたんだと感じたんだ。有能な人達の手により、シリーズのオリジナル感が戻ってきたことが感じ取れたんだよ。

ー恐らくスクウェアが最も多産であった、オリジナルのプレイステーションの時代のゲームで、今カムバックして欲しいゲームはありますか?

新しいトバルNo.1を作りたいね。鳥山明先生の影響だね。

ー(『ドラゴンボール』の作者)鳥山明さんと言えば、植松伸夫さんは、鳥山先生と多くの作品で一緒に仕事をしているものの、一度も実際に会ったことはないと言っていました。坂口さんは鳥山先生と仕事をしている時、実際に会ったことはありますか?

会ったよ。サンフランシスコとロサンゼルスにも一緒に行ったことがあるんだ。

ー鳥山先生と仕事をするのは、どのような感じですか?評判通り、一人で籠って作業しているのですか?

鳥山先生は名古屋のスタジオで一人で仕事をしているよ。シナリオと僕の世界観とキャラクターの個性を伝えるだけでいいんだ。あとは先生の想像に任せるだけ。最初の4、5回の草稿に対するフィードバックを送るけど、通常は最初の草稿とあまり変わらないかな。鳥山先生のプロデューサーで、ジャンプ誌の元編集者の鳥嶋和彦さんとも仕事をしたことがあるよ。鳥嶋さんは、実はデザインに対する注文を多くする人なんだ。 彼はデザインが消費者に十分に影響を与えるかどうかに関してフィードバックを提供するんだよ。3人で一緒に調整を行うんだ。鳥嶋さんは、若かりし頃の鳥山先生を発見して、成長させた人なんだ。鳥山先生の父親と言っても過言ではないよね。

ー『クロノ・トリガー』に関して鳥山先生にアプローチするうえで、何か懸念はありましたか?キャラクターと世界のデザインを鳥山先生に任せることで、重荷を感じたことはありますか?

僕はずっと鳥山先生の作品の大ファンなんだ。おそらく、それは誰もが一緒だと思う。鳥山先生と一緒に仕事をすることは、僕にとって一番大きな夢だったから、躊躇する理由はなかったよ。一緒に働くことができれば、『ドラゴン・クエスト』とスタイルの面で重なるかどうかなんて気にしなかったんだ。今でも同じ考えだよ。
--{3Dで鳥山先生が動きをデザインした『ブルードラゴン』の環境でキャラクターの動きを初めて見た時は感動したよ。}--
ー『クロノ・トリガー』と同じく、『ブルードラゴン』でも鳥山先生と植松さんが参加していました。このゲームの制作において、最もやりがいがあったことは何ですか?

もちろん、それは初めて鳥山先生に提出してもらったイラストを見た時だね。でも僕はクレイメーションのようなゲームを作りたかったんだ。必要以上にリアリスティックにするのではなく、キャラクターに光が反射する感じだよ。3Dで鳥山先生が動きをデザインした『ブルードラゴン』の環境でキャラクターの動きを初めて見た時は感動したよ。

ーキャラクターには物理的な質感があります。

そうだね、できるだけ鳥山先生のイラストのスタイルに近づけたかったんだ。

ー子供の頃、どんな映画やテレビ番組を見て育ちましたか?重要な、創造的なインパクトを坂口さんにもたらしたものは何ですか?

メジャーなポップカルチャーの作品は全て見たよ。手塚治虫先生の作品を皮切りに、『ウルトラマン』に『仮面ライダー』、『ブラックジャック』や『仮面ライダー』を描いた石ノ森章太郎先生の作品も。高校生の時に『スターウォーズ』が大ヒットしたんだ。『フラッシュ・ゴードン』もそうだね。それに、宮崎駿先生の作品に『ガンダム』も。子供の頃はアニメが大好きだったから、たぶん全部見たんじゃないかな。高校生の頃は少し生意気だったんだ。日本では、普通、生徒は制服を着るんだけど、僕の学校は制服がなかったから、普通の服を着たまま問題を起こさずに学校を去ることができたんだ。だから、学校が終わっていないのに校舎を抜け出して、映画館で映画を見ていたね。

ー当時、映画は今よりも上映期間が長かったのではないでしょうか。『スターウォーズ』と『E.T.』は1年半上映されていました。映画は今よりも簡単により大きなインパクトを私達の生活に与えることができた時代ですね。

(一番大きなインパクトを受けたのは)『ブレードランナー』だったと思う。実際に見る前はこの映画のことは何一つ知らなかったんだ。衝撃を受けたよ。『風の谷のナウシカ』にも大きなインパクトを受けたね。アニメだったから、僕はほとんど期待していなかったんだ。他に何も上映されていなかったけど、退屈してたから、友達と「それじゃ、あのくだらないアニメ映画でも見てみるか」みたいな感じだったんだけど、映画が終わる頃には二人とも泣いていたよ。
--{サザンオールスターズを含む日本のアーティストの影響を受けたんだよ。スティーヴィー・ワンダーやクイーンの曲も聴いていたけどね。}--
ーファンタジーからも影響を受けましたか?

当時、栗本薫先生の『グイン・サーガ』シリーズにも影響を受けていたね。この作品の表紙は、偶然にも(『ファイナル・ファンタジー』のコンセプチュアル・アーティストの)天野喜孝さんがデザインを担当していたんだ。このシリーズを描き始めた頃、栗本先生は100冊でも書けると言っていたんだ。ファンタシーの設定そのものだったね。09年に他界する前に、外伝を含めて実際に100冊以上執筆したんじゃないかな。栗本先生は天才だったよ。05年に100冊目の作品を出版したんだけど、全ての作品を出版する頃には、合計で155冊に達していたんだ。僕はそのうちの30-40冊ぐらいしか読んでいないかな。

ー坂口さんは実は優秀なミュージシャンだということを小耳に挟んだのですが、この噂は事実ですか?

実は高校生の頃はミュージシャンになりたかったんだよ。シンガーソングライターを夢見ていたんだ。子供の頃にピアノのレッスンを受けていたし、ギターの弾き語りをしてたんだ。サザンオールスターズを含む日本のアーティストの影響を受けたんだよ。スティーヴィー・ワンダーやクイーンの曲も聴いていたけどね。

ー年齢を重ねるごとに興味は変わりましたか?

そうだね、バンドは鳴かず飛ばずで、なかなか売れなかったよ。それで、19歳か20歳の頃にApple IIが発売されたんだけど、この時Apple IIに思い切りはまって、音楽から焦点を完全に切り換えたんだ。

ー『グイン・サーガ』の件に話を戻しますが、坂口さんが受けた影響の多くはサイエンス・フィクションでした。そこで、なぜ『ファイナル・ファンタジー』がサイエンス・ファクションのゲームではなく、ファンタジーになったのか気になっているのですが。

当たり前だけど、『ファイナル・ファンタジー』のストーリーは、『グイン・サーガ』やその他のファンタジー小説の影響を大きく受けているんだ。でも、ゲームに最も大きな影響を与えたのは、当時僕が遊んでいた『ウィザードリィ』と『ウルティマ』なんだよ。

ー過去にとても多くのゲームの制作に携わってきました。一連の作業全体の流れをどのように説明しますか?

これは恐らく過去のゲームだけではなく、これから作るゲームにも言えることなんだけど、ゲームを作る時は、まずキャラクター、ストーリー、そして、世界、それから、──絶望、挫折、そして、希望など──プレイヤーが味わうことになる様々な感情を思い描くんだ。

でも、プレイヤーに僕のゲームから得てもらいたいことは、ゲームの終わりに用意されている真のポジティブなエネルギーなんだ。ゲームを終えた時に、良いストーリーであったと感じてもらいたいんだ。"濃度"、つまり、コンテンツがゲーム全体でどれぐらい分散されているかも僕にとっては大事な要素の一つなんだ。同じことを何度も繰り返しているとプレイヤーには感じて欲しくないんだよ。ゲーム開始から終わりまで、ずっとゲームに引き込まれることが重要なんだ。

ーテレビゲームではハッピーエンドで終わらせる義務があると感じていますか?

そうだね、フランスの映画みたいに、結論のないアーティスティックなエンディングでゲームを終わらせることもきっと可能だよ。でも、僕のスタイルではないね。未来に対して希望を抱かせ、明日をより良くするために全力で努力したくなるようなゲームを作りたいんだ。

James Mielke


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